コスモグループ
エピソード
理容室の危機を打破せよ。
救世主・パンチパーマの誕生
1960年代、世界的なロックバンド ビートルズの活躍とともに、
日本男児の美意識にある異変が起きた。「長い髪ってカッコいい」──
特に若者層を中心に髪を伸ばし始める男性が急増。お客様の来店周期が伸び、理容業界にとっては大きな痛手となった。
「客が来ない」「このままでは……」。理容室オーナーの悲鳴を聞いて、コスモスタッフは男性を理容室に呼び戻す方法を考えた。
ある日、1人のスタッフがひとつの器具を見てピンと来た。「これはイケるかもしれない」。それは男性の短い髪にパーマをかける丸アイロンだった。


スタッフ自ら実験台に。
「丸アイロンを改良して、もっと短い時間で効率良く完成する、新しい髪形ができないか」。
コスモスタッフは北九州市内のある理容室と共同で、丸アイロンの改造に着手。短時間でより細かく、
エッジの強いパーマをかけられるよう、アイロンの試作と実験を繰り返した。ポイントはアイロン部分につけたいくつかの溝だった。
改良したアイロンで実際にパーマをかけ、かかり具合を見てさらに溝の幅や角度を調整。
コスモスタッフは自らモデルとなり、地道な実験を繰り返す。彼らの頭皮には小さなヤケドの痕ができた。それでも誰もが新型アイロンの完成に胸躍らせていた。
パンチの威力は北九州から全国へ。
そして1970年代半ば、ついに新型ヘアアイロン「エッジアイロン」が完成。北九州の理容室には、このアイロンを使う新メニュー「メッシュ」が登場した。
どんな強風でも崩れず、手入れも簡単、がっちりと固まった毛束の波が男らしい「メッシュ」は、
工業地帯であった福岡県北九州市の地域性とも相まって、工場や工事現場でヘルメットをかぶって働く男性の間で瞬く間に大ブームに。
「見た目にもパンチがある」このパーマは、いつしか「パンチパーマ」と呼ばれるようになった。
最盛期には北九州市内の理容室では男性客のなんと約7割がパンチパーマをオーダー。理容室にはまた男性客が戻り、活気がよみがえった。
そして、さらに改良を重ね進化させた「レーリングアイロン」や「シティウェーブアイロン」などのヘアアイロンにより、
パンチパーマは新たな「男のヘアスタイル」として全国へと広まっていったのだ。
髭剃り後の肌荒れを救え。
ブルガリスシェービングクリームの開発
80年代、男は肌荒れに悩んでいた。
1980年代のはじめ、理容室ではお客様の髭を剃る時に、肌に石鹸を塗るのが普通だった。
ところが人によっては髭剃り後の肌は荒れ、赤くなり、血がにじむ場合さえあった。
どんなにたっぷりと泡をつけても、どれほど切れ味の良い剃刀を使っても、
肌荒れは治まらなかった。「肌の弱いお客さんの髭を剃る時、気が引けるんだよね」。
しんみりと話す理容師の声を受け、コスモスタッフは石鹸に代わる製品の開発に取り組んだ。

解決策は日本の薬草・ヨモギ。
まず着目したのは人間の肌のPH値。コスモスタッフは考えた。「健康な肌は微酸性の状態。
だから敏感な肌はアルカリ性の石鹸の泡に反応してしまうのではないか」と。
そして肌に近い微酸性の薬草成分の研究が始まった。何十種類もの薬草の効能を調べ、スタッフが注目したのはヨモギ。
昔から鎮静効果と止血効果にも優れていると言われるヨモギこそが、新製品の主成分に最適だと判断した。
こうしてできた髭剃り専用のクリームが「ブルガリス シェービング アンド マッサージクリーム」。
それは、髭剃り時の肌荒れを防ぐだけでなく、1つでシェービングとマッサージの2役をこなせる優れものとなった。
髭剃りの常識が変わった!
「蒸さずに剃っても痛くない!」
「ブルガリス シェービング アンド マッサージクリーム」は、コスモの男性社員自らが宣伝ポスターのモデルとなり、
その効果をアピール。理容業界で大ヒットを記録した。
優れたマッサージ効果は肌の血行をも良くする。「肌の色艶まで良くなった」という客の喜びを耳にし、安堵した技術者も多かった。
コスモが提案した「シェービング+マッサージ+パック+ローション・乳液」のメニューによって理容室の客単価向上にも成功した。
ブルガリスの開発以来、理容業界では髭剃りにはシェービングクリームという図式が定着。開発から30年以上経った現在も根強く支持され続けている。
海外のカット技術を盗め。
理容室のユニセックスサロン化への道
自信を失くした技術者たち。
バブルに向かって景気が盛り上がる1980年代前半、理美容業界にも好景気の波が訪れていた。
しかし、新しい時代の感性についていけない理容師もいた。
「女性のヘアスタイルを作る自信がなくて……」
「最近の若者の求めるスタイルが理解できないんだよね……」
そう言って肩を落とす姿を見るにつけ、いつもコスモスタッフは悩んでいた。「自分たちが技術を伝えられたらどんなにいいだろう」。
そんなある日、コスモスタッフは気づいた。「自分たちはプロに本当の技術を教えることはできない。
でも、海外の最先端技術を学べる「場の提供」ならできるはずだ」と。
海外の技術を学ぶ「JADDS」を結成。
80年代半ば、コスモはラスベガスで開かれた美容メーカーの見本市に自社製品を持って出展。
これを機に海外進出のチャンスを積極的につかむようになる。
そんな中でコスモは、アメリカのヴィダル・サスーン等で実績を積んだ1人の日本人技術者と出会い、改めて実感した。
「クリエイティブなスタイルづくりにこそ、基礎となるカット力が必要」だと。
そして彼を代表とし、日本の理容技術者を育成するグループ──「JADDS」を立ち上げた。
自らが技術を教えることはできない代わりに、「JADDS」という場を提供することによって、
海外の最先端の流行と技術を地方の理容技術者に伝えることを実現したのだ。
海外とリンクして向学心を応援。
北九州で立ち上げた「JADDS」の講習会は反響を呼び、福岡、久留米、大分へと広がっていった。
ヴィダル・サスーンのベーシックカットを学ぼうと、約150もの理容室から300名近い理容師が集まった。
「JADDS」の活動をベースに80年代後半にはアメリカから技術者教育システム「ABBA」を導入。
技術を高めたいと望む会員を募るなど、海外とリンクした活動は続いた。
ある日、講習会に参加したひとりの若い理容師が、嬉しそうにこう言ってくれた。「レディスカットに自信がついた」。
そんな彼らの自信がベースとなり、理容室のユニセックスサロン化への道が拓かれていったのだ。
縮毛矯正の課題を克服せよ。
美髪の認識を変えたイオン加工アイロン
縮毛矯正のリスクを克服したい。
「縮毛矯正」はストレートパーマに代わるクセ毛解消メニューの決定打。
それは、W浅野が人気の頂点を極めた1990年代、サロンのメニューに新星のごとく登場した。
ところが、当時の縮毛矯正は液の調合が複雑で、技術者によって効果が不安定。施術にも5時間近くかかっていた。
「縮毛矯正がもっと簡単で、きれいな仕上がりになったら、利用客はもっと増えるはず」。
そう考えたコスモスタッフには、密かな勝算があった。長年研究を重ねてきた独自のイオンの力が、この問題を解決すると確信していたのだ。

答えはイオンにあり。
イオンとは自然界に存在する電気を帯びた微粒子。
今でこそヘアドライヤーや空気清浄機等で馴染み深いが、コスモではもう30年以上も前からこのイオン研究を行っていた。
「縮毛矯正のアイロンにイオンのパワーを加えれば、適度に髪の水分を残したまま、きれいな仕上がりが可能になるのでは」。
スタッフは早速、縮毛矯正用のアイロンに独自のイオン加工を施した。同時に、矯正用の薬液にもイオンを加え、
施術時間を約3時間まで短縮することに成功した
イオン加工を施したクレイツブランドの「リメイクアイロン」は、仕上がりの安定感と美しさから理美容業界で大ヒット。
ワンレン・ボディコンの流行に乗って、全国的な縮毛矯正ブームを巻き起こした。
クレイツブランドの創生期へ。
この後クレイツブランドは、トレンドに合わせて「レビーアイロン」や「リニューアイロン」といった進化系の製品を開発。
縮毛矯正ブームに拍車をかけ理美容室の客単価向上に貢献した。
これらは業務用として使われるだけでなく、
プロの技術と商品力に「いいモノであれば高くてもほしい」という消費マインドを刺激された一般ユーザーへの店頭販売へつながった。
それはまさに、プロユースの製品を家庭でも使いたいという一般消費者の願いをかなえた取り組みだった。
クレイツブランドはこうしてサロンのみならず、一般消費者の手元へも届けられ始めることとなる。
理美容業界の刺激となれ。
ビジネスフォーラムを通じて新たなトレンド創造を提案
業界の発展なくして未来はない。
時は21世紀-。「モノ余りの時代」「情報化社会」「飽和市場」・・・世の中は急速な速さで変化を続ける。
女性の飽くなき「美」への欲求のため外部環境に左右されにくい業界と言われてきた美容業界においても成長のための変化が必要となっていた。
理美容業界の発展なくして自分たちの未来はない。そのために自分たちには何ができるのか?幹部の議論の中心は常にそこにあった。
コスモグループがビジネスとして市場に提供しているのは商品であることは間違いない。だが、求められているのは商品の説明だけではなかった。
「我々の経験や情報とネットワークを活かして、多くの理美容師様にご提案をし、勉強して頂くセミナーをやってみよう!」
理美容師様を対象とした大規模なビジネスセミナーの開催を決めた。
展示会やイベントへの出展などは数多く経験してきたが、
数百人規模のイベントを自社で開催するというのは未知の領域だ。その日から総力を挙げての準備が始まった。


コスモビジネスフォーラムの開催、そして進化。
大規模なイベントの企画や実施に特別なノウハウがあったわけではない。テーマの立案から始まり、会場手配、講師選定、設営など、
そのほとんどを社員が手探り状態で作り上げた。日々の営業活動が終わっては夜な夜な打合せや準備を繰り返す日々が続く。
そして2003年春、満を持して「コスモビジネスフォーラム+α(プラスアルファー)プロジェクト」第1回を開催。
九州各地から約800名が集まり、「人育り(ひとづくり)」「客集り(客づくり)」「物創り(物づくり)」をメインテーマにセミナーを行った。
ビジネスフォーラムという場を通じて理美容業界に変化のための刺激を与えたい-。時代の変化に合わせ、コスモビジネスフォーラムは進化を続ける。
2013年のコスモビジネスフォーラムでは、約2000人を集め、
国内を代表するトップスタイリストと地元福岡を代表するスタイリストの競演をグランドステージで実現。
新しいトレンドと美容ビジネスの未来についての提案を発信した。
新たなトレンドを創造しよう。
商品を紹介するための講習会やセミナーは決して珍しくはない。
しかし、コスモグループが考え続けてきたのは、変化の早い環境の中でサロンが抱える問題を解消し新しい市場を創造する「ソフト」の提案。
「美のクリエイターとして美容業界から新たなトレンドを創造しよう」
コスモグループからのメッセージは、美容業界の発展への思いであると同時に、
それに向かって社員一丸となって挑戦する強い意思表示でもある。
海外文化を丸ごと輸入せよ。
日本の美容市場にイノベーションを図る
日本の美容サロンにはまだまだ可能性がある。
朝早くから夜遅くまで熱心に技術練習に明け暮れる美容師。新しいメニューの導入や内外装の工夫、
集客方法や顧客管理手法に頭を悩ますサロンオーナー。
その努力の一方、バブル崩壊以降の長引く不況や少子高齢化などさまざまな外部環境の変化に加え、
パーマやカラーといった従来の美容室経営を支えていたメニューのニーズまでも落ち込んでいた。
「成熟市場」と言われるようになった業界の成長性を危惧する関係者も少なくない。
だが、コスモグループは日本の美容サロンにはまだまだ可能性があると信じて疑わない。
そしてその可能性を現実にするためのヒントを実は海外から得ていた。


海外セレブカルチャーの文化輸入。
ある日幹部が海外から持ち帰ったのは、鮮やかなパッケージに身を包んだヘアケア用のオイルトリートメント。
海外有名セレブに圧倒的人気を誇っていた「モロッカンオイル」だった。
販売開始前、サンプルを手にした誰もがこう言った。「臭いがちょっと…」「オイルを髪につけるなんて…」
洗い流さないオイルトリートメントという文化のなかった日本での成功は難しいと誰もが思っていた。
だが、当時社内で編成されたプロジェクトチームのメンバーはそれに負けない強い志を持っていた。
「我々は単に目新しい商品を輸入するのではない!海外セレブのライフスタイルをイケてる日本女性に提案するのだ!」
「そして海外の美容室におけるリテイル文化を日本で実現することで、努力を重ねる美容サロン様の経営力を向上させよう!」
実現したかったのは「海外セレブカルチャーの文化輸入」。海外セレブが楽しんでいるようなヘアケア文化を美容のプロを通じて美意識の高い女性に広めたい。
足かけ3年-。グループ全体での努力によって、言語・輸入手続き・在庫管理など様々な課題を乗り越え、
2010年秋、海外セレブ御用達ブランド「モロッカンオイル」の国内販売を開始した。
多大な労力とリスクを抱えての海外ブランドの輸入・販売-。美意識の高い日本女性に対して新しい美の楽しみを提供し、
同時に美容サロンの経営環境を改善したいというコスモグループの企業生命をかけた不退転の意思の結集だったと言っても過言ではない。
挑戦はまだまだ続く。
サロン専売品として美容室の店頭で販売したオイルトリートメントは大好評。
発売開始からわずか1年で消費者の支持を統計するWebサイト「アットコスメ」でもヘアケア部門の1位を獲得し、
瞬く間に国内トップクラスのヘアケアブランドとなった。
きっと、単に目新しい商品の紹介をする営業活動だけでは、短期間にここまでの結果は出なかっただろう。
モロッカンオイルというブランド・商品を通じて日本の美容業界にイノベーションとソリューションを図るという強い信念があったからこそ。
そして、そんなコスモの提案に共感し、国内でのブランドづくりに共闘してくれた多くのサロンのおかげなのだ。
新しい市場創造を目指し、海外からのヒントをもとにした美容業界のイノベーションを図る取組みはまだまだ続く。
2012年の冬からは全米トップスタイリングブランド「Sexy hair」の輸入・販売を開始。
「新たなムーブメントを生み出して、美容市場をもっともっと活性化させたい」──美容業界のイノベーターとしての挑戦はまだまだ続く。
業界のゲームチェンジ、その先駆者として
ホリスティックビューティーを美容のスタンダードに
人々の大きな価値観の変化
きっかけは東日本大震災。それを機に、人々の健康や美容に関する価値観がガラッと変わったと言っても過言ではない。
震災そのものの被害というよりは、それに起因して起こった原発事故による放射能汚染の問題、その後立て続けに食品偽装や化粧品のアレルギー問題が起こり、
いままで企業主体の広告やメディアが発信することを信じて購買活動を行ってきた人々が、それに疑念を持ち始めたのだ。
個人個人の発信するSNSなどで情報を取得することができるようになり、安価で大量の商品を提供する企業の裏側が暴かれて拡散されたり、
バッシングも起こった。
そんな時代背景を受け、コスモグループはいち早く業界のゲームチェンジを図る。


ホリスティックビューティ事業の立ち上げ
そもそも美容業とは「見た目を美しくする」という目的で印象美や造形美を極めていく職業だが、
市場の価値観の変化、そして少子高齢化による大人女性に向けた提案を強化していく中で、
今後はもっと素材美や内面美という部分にも目を向けるべきだという強い確信を持った。
例えば肌でいうと、シミやシワを化粧で隠したり、乾燥するから高級でより保湿効果の高いコスメを使うといういままでの発想を転換し、
体の仕組みを学んだ上で、ビタミンやミネラルなどをバランス良く摂取したり、
肌の自然治癒力を高めるような添加物の少ないコスメを選ぶことで体の内側から美を高めるべきと考えたのだ。
まずは美容師へその様な包括的な美容(ホリスティックビューティ)の考え方を啓蒙し、
具体的に教育や製品を提供していくべく、2014年株式会社ホリスティックキュアーズ を立ち上げた。
テラヘルツ テクノロジーが美の未来を変える
コスモグループが新たなホリスティックビューティという領域に乗り出すにあたり、
再度注目したのはこれまで実績を積み重ねてきたイオン加工技術だった。
さらなる研究開発を重ね、他社に追随を許さない「テラヘルツ テクノロジー」を確立。
1秒間に1兆回振動する遠赤外線の一種であるテラヘルツ波を発生させる特殊技術を活用した
ドライヤーやヘアアイロンなどは美容師たちの口コミで大ヒット商品となった。
また、化粧品やサプリなどにもそのテクノロジーを応用し、合成界面活性剤や添加物を使用しなくても浸透率や防腐効果の高い商品の開発に成功。
現在はカラーやパーマなどの髪や頭皮に負担がかかる施術も、独自のテクノロジーを活用してダメージを打ち消しながら
デザインが作れる画期的なアイテムを開発している。
美しさには「健康」が大前提という信念のもと、人生100年時代に貢献できる企業であるよう
今後もコスモグループはホリスティックビューティ市場の開発と啓蒙を行なっていく所存だ。